社会に出ると上司や先輩から「これ出来る?」と言われることが多くなります。
普通はその回答として「出来る」or「出来ない」だと思います。
発達障害は「出来る」と「出来ない」の間に一般的な人よりも大きな差があると感じます。
「出来る」「出来ない」に含まれる一般的な意味
まず一般的な「出来る」「出来ない」に含まれる意味について記載します。
出来る
- 得意
- 人並みに習得している
「出来る」に含まれる意味としては得意なことであったり、平均的な能力を有していることでしょうか。
アプリ開発を一人で行えるほどプログラミングが得意なことも、パソコンのデータを印刷するためのプリンタの設定方法を知っているも同じ「出来る」になります。
出来ない
- 不得意
- やったことがない
会社の交通費精算の提出方法を数年前に一回やったことがあるだけも、全く触ったことがないシステムのことを聞かれてもわからないことも「出来ない」に入ります。
発達障害にとっての「出来る」と「出来ない」の間
それでは発達障害を持っている人にとっての「出来る」と「出来ない」の間にはどのような場合があるのでしょうか。
出来るけど疲れる
発達障害は嫌いなことをやる場合、普通の人の何倍も疲れてしまいます。
さらに集中力も続かず完了するまでに時間がかかってしまいます。
もしかしたらいつまでも終わらないため、「出来ないのなら最初に言って」と怒ってしまうかもしれません。
ただその作業は出来る出来ないであれば、本人からしたら「出来る」作業なのです。
やろうとしても上手くいかない
具体例を挙げるのであれば、「9時にお店に来て」といったように時間を指定するような指示に従うことです。他にもスケジュール管理をすることが上手く出来ません。
これらは本人もなんとかしようと思って何度も工夫をします。
しかし、9時にお店ではなく最寄駅に着いてしまったり、スケジュール通りに全く出来なかったりします。
英語を話したことないのにいきなり外国人と話してくださいと言われてもどうすればわからないと思います。
発達障害の「やろうとしても上手くいかない」はこんなイメージです。
しかも普通の人が日常的に苦もなくやっていることでこういった現象が発生します。
さらに英語は頑張れば話せるようになるかもしれませんが、発達障害がスケジュール管理が出来るようになろうとしても「出来る」段階になる前に大きな壁があり結局「出来ない」から脱出出来ないこともあります。
やり方が理解できない
心理テストで「ピンクの象を思い浮かべてください」と言われたとします。
僕は頭の中でイメージすることができません。
真っ暗・砂嵐・ごちゃごちゃ、のように人によって表現は様々ですがイメージすることが苦手、もしくは全くできない人もいます。
普通の人からすれば「なんで?」と思われるかもしれませんが、こちらからすれば想像できることが「なんで?」です。
頭の中で何かを想像する方法が理解できないんです。
「もし翼があったらどうやって空を飛ぶの?」と言われても分からないのと似たような感じだと思います。
どこまで出来れば「出来る」に入るのかわからない
そもそも「出来る」と「出来ない」の境界線が曖昧すぎてわかりません。
境界線自体も聞かれている内容や表現によって変わりますし。
「Excelの操作って得意?」と言われても一通りの操作方法はわかるけどマクロはほとんど開発したことがない。
関数も代表的なものは知っているけれど全ては知らない。でもググれば理解できると思う。
この場合は「Excelが出来る」と言っていいのか分からないんです。
このようなことを言うと「境界なんて自分の感覚で適当で良いんだよ」と返されることがありますが、「自分の感覚」も「適当」もどの程度なのか分からないんです。
なぜ「出来る」と「出来ない」の間が大きいのか
これまでのことを踏まえ、発達障害にとって「出来る」と「出来ない」の差が大きくなってしまう理由についてまとめます。
発達障害は能力ごとの差が大きい
発達障害は総じて能力ごとの差が大きくなってしまいます。
出来ることはめちゃくちゃ得意になれるけれど、出来ないことはどうやっても出来ないままなんです。
RPGゲームで例えると普通の人は剣も魔法も使えるオールマイティーな勇者タイプです。
反対に発達障害傾向がある人は武力特化か魔法特化タイプです。
しかも極端で、武力特化ならば誰よりも攻撃力が高くなるけど魔力はいつまで経っても0のままみたいな感じです。
このような違いがあるため、発達障害は普通の人よりも「出来る」と「出来ない」の差が大きくなってしまいます。
差が大きくなると出来る出来ないの境界線もより曖昧になってしまいます。
曖昧表現に対する理解が難しい場合がある
前述しましたが、僕も含めて発達障害傾向がある場合は曖昧表現を理解することが難しい場合があります。
そのためどこまで出来れば「出来る」と言えるのか分からなくなってしまうことが多いです。
さらに自分がどのくらい出来るのかは本人の感覚次第ですが、それも曖昧すぎて分りません。
出来る出来ないの間にある曖昧な部分がより「出来る」と「出来ない」の差を大きくしていると思います。
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